オウム真理教幹部、中川智正は更生することは出来るが、死刑が妥当。

オウム真理教幹部、中川智正の控訴審判決1
http://angryman.seesaa.net/article/47730080.html

オウム真理教幹部、中川智正の控訴審判決2
http://angryman.seesaa.net/article/47739106.html


平成16年 (う) 第676号 殺人、殺人未遂、逮捕監禁致死、死体損壊、爆発物取締罰則違反
中川 智正(44)


判決理由の続きです。

次に浜口事件について述べます。

●浜口事件
1994年12月12日、オウム真理教に公安のスパイだと疑われた浜口さんが、麻原の命令により、VXガスで殺害された事件。
浜口さんは約10日後に死亡。

麻原らが浜口さんを公安のスパイだと疑い、殺害を支持したことが認定されています。
所論は、都会なら救急車がすぐに来るだろうと思っていた被告人には、未必の故意があるだけに止まるという弁護人に対し、原判決は事実誤認だと言います。
確かに、被告人は事件前におこなわれた謀議に参加しています。
そういったことがあったからといって、直ちに確定的な殺意があるとは言えません。
しかし、他の人に救急車を呼んでもらうなどの行為にでているわけではないことから、確定的殺意を否定するものでないことは確かです。
大都会だから救急車が呼ばれて助かるなど、なんの根拠もありません。
119番通報がおこなわれることを事前に確信できたはずはない。
所論は、被告人は浜口さんを全く知らなかったことから、幇助犯に止まると言います。
確かに、浜口VXガス事件があった当日に合流し、浜口さんを全く知らないで関与したとも言えます。
しかし、事前に電話で聞いていて、浜口さんの家を下見し、更にホテルで犯行の打ち合わせにも参加しています。
これらは、水野さんの時から、ずっと犯行グループの一員であったことが推認できます。

次に、長岡VXガス事件について述べます。


●長岡VXガス事件
1995年1月4日、オウム真理教被害者の会の会長、又は会長の元信者の息子さんをVXガスで殺害しようとした事件。
長岡さんは一命を取り留めた。

所論は、被告人は救急車が呼ばれるだろうと思っており、確定的な殺意を認定した原判決は誤りであると言います。
しかし、これまでに数件VXガス事件をおこしており、そのうち1名は死んでいることから、長岡さん親子のどちらかが死ぬという確定的な殺意があったのは明らかです。
所論は、被告人は殺人未遂事件の幇助犯に止まると言います。
長岡VXガス事件では、麻原の指示で犯行現場に行けなかった部分はありますが、犯行に使われたVXガス入りの注射器を用意し、それらの物を犯行後に隠滅作業をするなどしておりますから、共同正犯は免れない。

次に、地下鉄サリン事件について述べます。


●地下鉄サリン事件
1995年3月20日、丸の内線、日比谷線、千代田線の地下鉄車内でサリンを散布し、無差別殺人をおこなった事件。
この事件では12名が死亡している。

所論は、原判決は被告人が遠藤らと共同してサリンを小分けに用意し、村井に渡したと言っているが、渡したのは遠藤であると言います。
しかし、その前提が被告人も関わってるわけで、その行為に対し、共同正犯は免れない。
原判決は、実際に誰が散布するか分からないが、教団が実際にサリンを散布して、殺害をしようとしてることを認識し、それに共謀したと言っているが、その結論において誤りはない。
所論は、暗黙のうちに共謀したとは言えないと言います。
確かに、そうとも言えるが、原判決はサリンは散布されることが前提として推認したものだと思います。
しかも、原判決には明示されてませんが、村井は、松本サリン事件でも滝本サリン事件でも中心にたってサリンを散布した人物です。
そのような人物が、はやくサリンを用意しろと被告人に命令したことから、近い将来に撒かれることは、用意に推認できたはずである。
被告人の当審での供述を見ると、弁護人に誘導されて、サリンを急いで作るつもりはなかったなどと原審と違う供述をしてますが、共犯者らの供述に比べると、明らかに不自然で信用できない。
所論は、本件で作ったサリンは、保管用だと思っていたという被告人の供述を不自然だとした原判決は誤りであると言います。
しかし、被告人は先程のような逼迫した状況下でサリンを作っており、教団がサリン事件で騒がれている時ですから、合理性がありません。
サリンの小分け作業にしても、サリンの使用に際した小分け作業と容易に推認できる。
以上の検討結果からも、被告人が使用以外の目的でサリンを合成したとは認識できません。
地下鉄車内で散布するという詳細は知らなかったものの、村井らと共に、犯行に積極的、且つ主体的に犯行に参加している。

次に、新宿青酸ガス事件について述べます。


●新宿青酸ガス事件
1995年5月5日、新宿駅のトイレに青酸ガス発生装置を仕掛け、無差別殺人を狙った事件。
この事件による死亡者はいない。

所論は、麻原の指示によりおこなった事件としながら、麻原の共謀がないとする原判決は誤りだと言います。
しかし、訴因に麻原の名前がないことを前提としており、事実誤認とは言えない。
麻原の指示があり、その翌日に村井が刺されて死亡するという事件があったが、それでも中断せずにおこなった事件ですが、被告人らが麻原に積極的に報告したという事実も窺えません。
そうすると、原判決も妥当だと言えます。

次に、都庁爆弾事件について述べます。


●都庁爆弾事件
1995年5月16日、東京都知事青島幸男宛に小包を送り、爆発させた事件。
開封した職員は、一命を取り留めた。

所論は、被告人は麻原から伝えられた、「なにが起きても同様するな」という言葉から、麻原が逮捕されてしまうと思い、なにか騒ぎになることをおこさなければと思ったとする原判決は誤りであると言います。
しかし、被告人の供述から考えると、被告人は麻原の逮捕は免れないと思っていたが、それでも、それを根拠に原判決に誤りがあるとは言えない。
所論は、人が怪我をするとは思っていたが、死ぬとは思っていなかったので、殺意はなかったと言います。
しかし、本件で使用されたRDX爆弾は、軍事用に使われる爆弾です。
それを書籍の中に入れ、それを開くと爆発するようにしており、それが未必の故意を回避する理由にはあたらない。
被害者は、偶々後ろの机の物を取ろうとして、体を反らしていたために致命傷を免れただけであって、死に至らなかったからといって、殺意のないことにはならない。


二、責任能力の有無
弁護人は、精神鑑定を却下した原審は不当だと言いますが、原審が鑑定を却下したことに問題があるとは言えません。
以下、補足して説明します。
原判決は被告人の責任能力について判断を示してますが、被告人の周到な準備などを示して判断しているものと思われます。
被告人は教団幹部として教団にいたことや、麻原の指示で犯行グループに加わり続けたことから、責任能力がないとは言えない。
坂本事件の拉致の時は、壁に寄り添って見ていただけだが、その場から逃げたい気持ち、やめてほしい気持ち、麻原に喜んでもらえるという気持ちがあったと言っている。
更に、謀議の時は、当初殺害を計画していた朝日ジャーナルの編集長が帰宅しないことから、坂本弁護士一家に標的を変えた時は、そんなことで殺害する標的を変えるのはおかしいと感じたと言っている。
このように、了解可能な判断をし、責任能力に疑念を抱くことはできない。
犯行当時は光が見えたとか、麻原がそばにいるように感じたとか言っており、神秘体験が犯行を後押ししたことがあったにせよ、被告人の殺害理念に疑いはない。


●坂本事件
1989年11月4日、オウムの被害者からの依頼をうけ、オウムと話し合いをしていた坂本弁護士を殺害しようと企て、坂本弁護士一家を殺害した事件。
この事件で、坂本弁護士、その妻と息子の3名が殺害された。


三、量刑不当
本件各犯行は、動機、態様を異にしてますが、そのどれもが尊い命を狙っており、犯罪史上極めて悪質な事件ですから、特段の事情がない限り、死刑が選択されることに特別な説明は必要ないと考えます。
よって、論旨には理由がない。
所論は、関係者が逃亡中であったり、共犯者が供述を拒否していることから、死刑は避けるべきだと言いますが、膨大な量の証拠から、死刑を選択するのは十分です。
所論は、麻原と同じ死刑になるのは不当だと言います。
確かに麻原のほうが責任は重いが、仮に麻原が関係ないとしても死刑を選択しています。


四、情状
結論から先に言います。
被告人にとって酌むべき事情は勿論ありますけども、それらを最大限考慮しても、死刑を免れる特別な事情はありません。
責任能力については、被告人には解離性障害が認められますが、本件犯行を犯す直接的な原因である出家は、自らが選択したことです。
本来、犯罪とは無縁で、他人に優しい人間であったことは裏付けられていることです。
もし、オウム真理教と出合ってなければ、今でも平穏な生活を送っていたかもしれません。
しかし、被告人は医学の知識を利用して犯罪を犯している。
しかも、坂本事件という重大な事件を起こし、更に重大事件を起こし続けたことから、教団に居続けて、自己の平穏を得たいという利己的な考え、麻原の為ならそれがどれだけ残虐な犯罪であろうとも従順していったこと。
これらを考慮すると、酌むべき事情はあるが、特別死刑を回避する事情にはあたらない。
原判決後も一段と反省を深めていることも窺えますが、原審と供述内容を異にしてることもあります。
しかし、その時に考えたことを仮説として述べてるだけで、自己保身とまでは言えません。
矯正不可能性といったものが、死刑を選択するのに重大なことであれば、被告人は矯正不可能ではないと言えます。
しかし、死刑を選択するにあたって考える、ひとつの事柄にすぎず、死刑を回避する理由にはなりません。
罪もない人々が殺害されたということは、被告人にとって酌むべき事情を遥かに凌駕するものである。
手段、方法の酷さ、遺族の感情、社会への影響、一般予防などを考慮すると、被告人に対して死刑で臨む以外ないとした原判決に不当な点はないと言えます。


死刑を選択した原判決に誤りはない。


この理由を聞き終えた被告人は、約10秒間、裁判長に向かって、頭を下げ続けてました。

ちなみに、この被告人の罪状にある『死体損壊』ですが、これは1995年2月28日に目黒公証人役場事務長を元信者である妹を匿った為に拉致監禁して死亡させ、その遺体を被告人が焼却炉で焼却した事件に対する罪状です。
これについては事実関係で争われてないので、判決文には出てきてません。

被告人には個々に判決が出てるのですが、松本サリン事件と地下鉄サリン事件に対して死刑を選択しています。
その他は、無期懲役、又は有期懲役刑を選択しています。

確かに、この被告人はオウムと出合ってなければ、このような鬼畜にはならなかったでしょう。
でも、それを言い出せば、どんな犯人にもきっかけとなる原因があるわけで、それを必要以上に酌むべきではありません。
そんな言い分を許してしまえば、在日の犯行は全て、「先祖が日本人に苦渋をなめさせられてきたからだ」=「酌むべき事情」となってしまいます。
それが嘘でも、在日は真実だと思っているわけですから。
やはり、犯した犯罪の罪の重さの前では、色々な事情は吐き捨てるべきだと考えます。

共犯者の村井が刺されて死亡したと判決理由で述べてますが、これはTVで放送中に在日の男に刺されて大騒ぎになったので、覚えてる方も多いでしょう。

それにしても、今では拘置所で精神異常のフリをして死刑を回避しようと、糞尿を撒き散らしてると言われる麻原彰晃。
こんな情けなく、惨めな奴を、今でも信仰してる奴がいる現実が恐ろしいです。
朝鮮人の血が入った麻原彰晃は何者なのか?
ただ自己中心的な男で、朝鮮人によく見られる、自分を過大評価する男です。
真実は、誰よりも劣等で、惨めで情けない男のくせに。

私は、麻原というと、今でも思い浮かぶ場面があります。



異様に痩せた麻原が、座禅を組んで一生懸命ジャンプして、宙に浮いたふりをする間抜けな姿です。


追記
私はきっと、裁判を傍聴しなければ、ただ感情的にこんな奴は死刑!と言っていたと思います。
傍聴したからとはいえ、こいつは死刑だという気持ちに変わりはないです。
変わりはないけど、色々なことを見て知って、考えてから出した結論なので、中身が全然違います。
裁判長が中川に見たイメージ。
そのイメージは私も同様です。
きっと彼は更生可能でしょうし、深く反省もしてるでしょう。
当ブログで取り上げてる、死刑になるであろう池内被告人とは、雲泥の差です。
でも、それでも死刑以外の選択の余地がありません。
みなさんも、短絡的に死刑!ではなく、判決理由の全てを深く読み、自分で考えてから、死刑という結論、又はそれ以外の結論を引き出してみて下さい。
タグ:殺人 判決
posted by angry man at 19:32 | 東京 雨 | Comment(0) | TrackBack(0) | 殺人裁判傍聴記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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